僕にはテーマがない【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第12回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第12回
【作品に込める思いはない】
そんなわけだから、僕はなにかを作り出すときに、なんらかのテーマを決めたことは一度もない。訴えたいこともなければ、自分の気持ちをわかってほしいとも考えない。ようするに、僕にテーマはないのだ。人生にテーマはない。日々の工作でも同じで、テーマなんてものはない。ただ、面白いものを作っている。作っているときが面白い。理由なんかない。
仕事で小説を幾つか書いたけれど、なにか思いを込めたことはない。どう受け取られてもかまわない。テーマというものがもし存在するとしたら、それは読者それぞれが、その作品を読んだときに感じたイメージであり、つまり、それぞれで異なっているはずだ。
読者の多くは、「作者はこれがいいたかったんだ」と自由に感じるだろう。それこそが、読者のテーマとなる。ただ、作者がそんなことをいいたかったかどうかはわからない。森博嗣の場合は、いいたかったものがそもそもない。
もし、いいたいことがあったら、わざわざ小説など書かずに、直接言葉で説明すれば良い。テーマがあるのなら、それをそのまま書いておけば良いだろう。「世界平和を願っている」なら、そう書くとか、それをタイトルにすれば良い。物語からそれを汲み取ってほしい、とぼかすようなことを僕はしない。「この作者は何を訴えているのでしょうか?」と国語の問題にありそうな問いかけが、好きではない。いいたいことがあったら、ずばり伝えれば良い。そんなに大事なことなら、歌や物語などに込めないでほしい、とさえ思うけれど、そういう回りくどいことが好きな人もいるだろう。人の趣味に文句はいわない。それぞれが好きなようにする自由がある。
特に僕の場合、小説家になりたくてなったわけではないし、子供の頃から憧れていたわけでもない。小説を書かずにはいられない、なんてこともない。鍋を作る職人は、鍋を作るときになにかを訴えようとしている、とは思えない。それと同じように、僕は職人として小説を書いている。ただ、鍋が役に立つように、長持ちするように、という思いがあるのと同様に、読者が読んで満足できるように、長く読まれるように、とは考える。そういう「品質」は重要だと思っている。品質の良いものが出来上がると嬉しい。工作でも、それは同じだ。そういうものを作れたら、自分が嬉しい、というだけである。
たしかに、読者から「面白かった」という感想をもらうと嬉しい。しかし、こちらの思いが伝わったとは感じない。そういう「思い」がそもそもないからだ。どのように受け止められても良い。どう解釈されても良い。読者がテーマを見つけたのなら、それは大変けっこうなことだと思うし、興味深いとも感じる。
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森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。